はじめまして。ひらめ(@hirame18jp)です。
星の数あるブログ、サイトの中から当ブログを訪れていただいたことに感謝いたします。そして、わざわざプロフィールにまで興味をいただき、ありがとうございます。
簡単に僕のプロフィールをご紹介しようと思ったのですが、ぶっちゃけた話、どこにでもいる普通のサラリーマンで、他のブロガーさんのように波瀾万丈な人生を歩んできておらず、面白い話が用意できません。
どこにでもいるサラリーマンです
僕のプロフィールを見ても分かる通り、どこにでもいる凡人サラリーマンです。
本当は、雑記ブログで好きなことを勢いに任せて書き殴ることに生きがいを感じている副業ブロガーです。笑
息抜きのためにはじめたTwitterで雑記的に呟いていたのですが、いつの間にか1,000名(2022年2月時点)を超えるフォロワーさんと仲良くなりました。
ツイートの内容的に同年代の男性にフォローされているハズだったのに、気づくとママさんとのつながりが多く、交流を続けているうちにブログやライティングの相談を受けるようになり、140文字では伝えられないノウハウをこのブログで公開することにしました。
本望ではない・・・
『ひらめ』の経歴
僕は大学を卒業するまでは「いい大学に入り、いい会社に就職。就職した会社で一生働き、定年を迎える。その間に結婚をし、家を買い、子育てを楽しみながら幸せな家庭を築く。老後は悠々自適に趣味にどっぷりとハマり、年金で可愛い孫に媚を売りながら楽しい余生を過ごす」という昭和的な『豊かな暮らし』を信じて生活をしていました。
実際に大学、大学院に進学し、東証1部上場の大手企業に就職。
ここまでは順風満帆だと思っていたんだ
就職氷河期と呼ばれた時期に、有効求人倍率が0.6という過酷な就職戦線を戦い抜き、東証一部上場企業に就職をしたのですが、4年目に会社を辞め、中小企業に転職をしました。
現在はヘッドハンティングを受け、3社目に在籍をしています。
IT業界の上流工程からプログラミングまで
僕は大学、大学院と化学専攻でITの知識はなかったのですが、システムエンジニアとして新卒で就職をしました。
システム開発の上流工程と呼ばれる『要件定義』や『基本設計』を中心に客先での打合せやプレゼンがメインの仕事でした。
周りの苦労をよそにあまり苦労をしないで、粛々と仕事をこなし、女子社員の先輩たちとワイワイと楽しそうにしていたので、かなり嫉妬をされていたと思います。
そして、対抗心、丸出しで僕に噛み付いてくる先輩や同期も多かったのですが、僕は仕事に対して冷めているというか、出世や評価を気にしていなかったので相手にしていませんでした。
今考えると嫌な奴ですね
なんか「会社のために」とか「出世したい」と思っている人間が憐れに見えてしょうがなかった記憶があります。一部上場のキッチリした組織で決められたことをするという働き方が性に合わず、入社して直ぐから不貞腐れて仕事をしていました。笑
そんなガキくさい僕と真摯に向き合い、叱り、慰め、僕を信じてくれた女性がいました。ぶっちゃけた話、その娘がいなかったら、今の僕はなかった。今よりも、もっと捻くれ、卑怯で、下手をしたら底辺を這いつくばって、何もしないで文句をタラタラ言っているクソ野郎でいたと思います。
その娘に「どうせ、態度が悪すぎて、何をしても文句を言われるんだから、必死になって周りを見返せよ」と煽られ、背中を押され、普通に生きていける男になれました。
必死に頑張ったんだよ
そして、その娘は自分の夢を叶えるために入社3年後には会社を辞め、海外に行ってしまいました。せっかく、その娘に認められる位の男になったと思ったのに、いなくなってしまったので一気にやる気をなくし、後を追うように会社を辞めた・・・
デザインとライティング
プログラミングスキルは、そこそこ自信があったので再就職も直ぐに決まると舐めていました。まあ、苦もなく再就職が出来たので、間違ってはいなかったのですが・・・
2社目は、中小のシステム屋だったので、元々使っていた『COBOL』や『C言語』だけではなく、C++、VB、C#、Java・・・と色々なプログラミング言語での開発を経験しました。他にもSQLやサーバの構築などなど、何でもやらないと仕事にならなかったので、本当に何でもやりましたね。
入社2年目に30歳になり、大好きな画面系の仕事しか、やらなくても良いポジションを確立。プログラマーが「画面系はプログラミングじゃない」と言っていた頃なので需要は高かったんですよね。同僚が作成たプログラムのインターフェイスをお客さんと打ち合わせて、使いやすいようにデザイナーと打ち合わせ、コーディング・・・
この頃、大学時代の友達の結婚式で、大学時代の女友達と再会し、意気投合。そして結婚。僕と奥さんは大学時代からの友達で結婚当時は10年来の付き合いでした。
そして2010年の終わり頃、東日本大震災の前に秋葉原の小さなWeb屋にヘルプに行ったのが、僕とWebデザイン、ライティングとの出会いでした。元々は、WordPressのテーマ作成(phpでのコーディング)のヘルプだったのですが、html、css、jQueryが使える便利な僕は、Web屋で使い勝手が良い。笑
当時は、システム屋で画面を作る人間より、Web屋で画面を作る方が圧倒的に少なかったんですよね。デザインからカンプ、コーディングを行える貴重な人間だったんですよね。なので、ほぼほぼ、自社では作業をせず、Web屋に常駐していました。
そして、その会社のエースというか、唯一のライター『お師匠さん』と出会い、ライティングをするように・・・
僕のお師匠さんは当時25、6歳の年下の女性だったのですが、小さくて可愛い見た目とは違い、クチは悪し、性格も悪い。だけど、ライティングの腕はピカイチで、お酒を飲んだときに、ライティングの心得を散々、教わりました。
以前、Twitterでも呟いたのですが、今でもお師匠さんの言葉は越えられません。
今でこそ、こんなブログでライティングについて偉そうに解説をしていますが、ライティングを続ける限り、この言葉は忘れずにいたいと思っています。
元々、オタク気質と言うか、やり始めると、とことん追求する性格もあって、この頃はプログラミングやデザインより、ライティングをすることが一番楽しかった。
縁があって現在の会社に転職
現在は、年商数十億円の商社で、社内システムを一手に受ける『情報システム部』で働いています。今の会社は元々、お客さんで、僕はシステム、ホームページ、チラシなどなどの発注をしてもらっていました。
企業規模の拡大に伴い追いつかなくなってきた、システムの改修や社内業務手順の作成、マーケティング、ブランディング・・・要するになんでもかんでも一手に引き受けてるために転職してきました。笑
直接、プログラミングをすることはほとんどなくなり、外注に依頼、デザインも昔からの仲間に発注、業務手順も作成するための下地作りを行うだけ・・・比較的、指示を出す側と言うか、音頭を取って、みんなに動いてもらう仕事がメインになりました。
仕事が楽しくて、辞めたくはありません。
ブログについて
2010年からライティングの修行として、ブロガー活動をしています。現在、運用をし続けているブログは、はてなブログに1つ、WordPressサイトが7つ。そして、このサイトを加えて8つです。
Twitterで、本当ならママさんブロガーになんて、ちょっかいを出さずに呟いていれば良かったのですが、収益化ができないと困っているフォロワーさんのブログを拝見すると「まあ、そうだろうな」と感じるブログが多い。笑
おしゃれだし、ちゃんとオリジナルの写真も取って、ちゃんとした記事を書いているんだけど、アクセスが集まらない、収益に結びついていない・・・
ぶっちゃけた話、収益をあげるためのライティングは技術なんですよ。センスより技術。
その技術を説明しているサイトも多いのですが、男性向けの情報が多いんですよね。僕はお師匠さんが女性だったと言うのもあるのですが、女性の方がライティングには向いていると本気で思っています。
共感を生むライティングは、間違いなく女性の方が上手い。ただ、知識がないだけ。なので、このブログを立ち上げ、そんなママたちの役に立ちたい。
全国の女性の味方になる
ぶっちゃけた話をすると僕のブランディングにもなるかと思っているんです。このブログを通して一人でも多くのママさんブロガーが収益を上げて拡散してくれれば、僕のブランディングになる。
だから、読みにくくなるアドセンスも貼るつもりはありません。テーマ的にアドセンスを踏んでくれる人も期待できないしね。
多くの主婦ブロガーが収益を上げるために
最後に、この『ママクラ』は、全国の主婦ブロガーの皆様に収益を上げて欲しい。そして、このサイトを拡散してもらいたいと思っています。
知識さえつければ、ライティングで稼げるんだと言うことを身をもって体験してもらいたい。
テクニックは教える。だから稼ご♪